
【短期連載】荻上チキが語る、炎上の構図
第1回 「Twitter時代の炎上論」 4月7日
第2回 「mixiオープン化で炎上は変わるか?」 4月8日
第3回 「ニコMADと政治運動・祭りの構図とは?」 4月9日
第4回 「なぜアメリカでは“オバマ”で、日本は“炎上”なのか」 4月10日
荻上チキさんに、これまでとこれからの「炎上」の構図について伺う短期連載。第3回はニコニコ動画で盛り上がりを見せる、炎上とは異なる「政治運動」、そしてそこから発展する「祭り」の流れだ。
いつの時代も同じことだけど、ただボリュームが大きい大衆先導・アジテーションにウマウマ乗せられるわけにはいかない。まずは本稿で現状確認から始めていこう。なぜYouTubeではなくニコニコ動画で「祭り」が盛り上がるのか、その構図を聞いた。
荻上 ニコニコ動画では、政治的なネタもそこそこ盛り上がっていますね。方法論自体は、役割としては旧来のまとめサイトと変わらないんですが、機能の面での違いがあらわれてきます。
ネット住民がマスコミの偏向報道を批判するとき、マスコミに対して「公式MAD」と揶揄することがあります。「現実から切り取った画像からMADムービーを作っている」という意味ですね。

ニコニコ大百科より「マスコミ用MAD素材」項目
そういう言葉をわざわざ選択するように、ネット上の政治動画の多くも大体がかなり「偏向した」MAD動画なわけですが、それ自体は多くの「まとめサイト」も同じです。
いずれも確証バイアス*1 が非常に高く「公正」であるとはお世辞にも言えないものの、ある結論へと自ずと導きやすいような「争点」を作ろうと計算されている。
「MADでMADに対抗する」ということ。それは、ハイパーリアリティをめぐる抗争に、動画が使えるようになったということですね。それは当然プロパガンダや情念の闘技にも利用され、特定団体の政治活動行動の元で拡大・再生産されてもいます。
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こうしたMAD文化の文法は、古典的な物語やアジビラのような政治手法、流言の構築プロセスなど、これまでの集合行動による「共像」*2 構築のプロセスと非常に似通っていますね。
MAD文化の例としては、「初音ミク」のようなケースばかりが好まれて語られがちですが、そうした観察の言葉が、麻生応援PVや「頭がパーン」による創価批判のような、具体的政治や排除につながるようなケースを一切無視し、「文化的可能性」とかを無理やり論じようとする「解釈ごっこ」で終わっているのは非常に残念です。

「頭がパーン」タグの付いたMAD動画の一例
どのようにバーチャルに見える世界でも、政治や経済といった環境的条件や、剥き出しのコミュニケーションからは逃れられません。
よく言われているように、ニコニコ動画は、感情の共有には向いているけれど、議論には向かない。特に動画であるがゆえに、それ自体はアジテーションには使われやすいけれど、ディスカッションにはあまり向きません。
YouTubeと違って、匿名による短文コメントしか表示されにくい。だからニコニコ動画に上がっているMAD動画に匿名で反論しても効果がほとんどない。匿名空間で積極的に付和雷同する自体を「作法」として楽しむ空間だからこそ、水をさすようなコメントはあっさりスルーされる。
そこには単に「扇情的/理性的」といった対比で済ませることは出来ない、独自のゲームのルールが働いているんです。
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先日「ニコニ広告」がリリースされたことで、政治動画がランキングに入りやすい環境も作られました。琴線が絡まるとこういった「工作」も加速するんじゃないかなとは思います。
意図的なもので言えば、たとえば「頭がパーンで100位全部埋めよう(parn100)」のようなことは今までもずっと続けられてきたわけなので、これからも続いていくんでしょう。
ある種のエコチェンバー(自分に都合のいい言説だけを選択し、多くの人と同調することで声を大きくしていくこと)の持つ快楽性は、なくすことは不可能ですから。
*1 確証バイアス: 先入観から他者を観察し、自分に都合のいい情報だけを集めて先入観を補強する現象のこと。
*2 共像: 特定の情報の集積によって生まれる共通のイメージ(像)のこと。
(4月10日予定 「なぜアメリカでは“オバマ”で、日本は“炎上”なのか」 に続きます)
【短期連載】荻上チキが語る、炎上の構図
第1回 「Twitter時代の炎上論」 4月7日
第2回 「mixiオープン化で炎上は変わるか?」 4月8日
第3回 「ニコMADと政治運動・祭りの構図とは?」 4月9日
第4回 「なぜアメリカでは“オバマ”で、日本は“炎上”なのか」 4月10日






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