
行武治美 / 「再構築」
先週にもお伝えした、「越後妻有アートトリエンナーレ 大地の芸術祭2009」で見つけた面白い作品の数々。先週は野外に置かれたオブジェや立体などを中心に書いてきた。今週は屋内にある、または「家」そのものをテーマにしたアート作品を紹介する。
人の少ないしずかな集落に佇む、古民家を使ったアートもこの芸術祭の大きな特徴。地元の生活や記憶、芸能に根ざした作品は、環境とともに変わる美しさもあれば、変わらない美しさもあることを再確認させてくれる。
というわけで、はじめに紹介するのはまるで光学迷彩のような家から。

行武治美 / 「再構築」
家の内外全面に、大小様々な円形の鏡が貼られたもの。内側の鏡は一部やわらかな針金で固定されており、風に吹かれると光とともに揺れる。太陽の光を乱反射し、周囲に白い光を散らしていくのだ。鴻池朋子さんの「惑星はしばらく雪で覆われる」も美しかったけど、こちらも見とれてしまう。

つづいては古民家を使った塩田千春さんの「家の記憶」。外側からは実際の古民家にしか見えず、ひとまずは入ってみるしかない。

塩田千春 / 「家の記憶」
一歩入ると、家の中は一面が黒い毛糸でクモの巣状にびっしりと覆いつくされている。ドアも、本棚も、空中も何も関係なく、すべてに黒い影が張りめぐらされる。

塩田千春 / 「家の記憶」
掲題どおり、わたしたちのように家の外にいる人はまったく知らないはずの記憶を共有しているような気分になる。それは後ろ暗いものではなく、あたたかく、やわらかな闇のようなもの。人が家に暮らすというのは、おそろしく生々しいものだ。琴線にふれるような張り詰めたものというより、お互いの毛糸にふれあうようなものなのかもしれない。

澤清嗣 / 「風呂」(「うぶすなの家」内)
こちらは場所を変えて、陶磁器作品を満載した「うぶすなの家」より、鉛釉による浴槽の作品。焼成するとあざやかな緑色になる、信楽焼の特徴である緑釉をかけているものという。澤さんの家は代々続く焼き物しごとの家系。

ドロテー・ゴルツ / 「コーヒー・セレモニー」
いくつものコーヒーカップが溶け合い、一杯のコーヒーがそそがれる。ふすまや縁側のように開放的な、日本のコミュニケーションがあらわれているようだ。ドロテー・ゴルツ(Dorothee Golz)さんはオーストリアの作家。立体をはじめ、デューラーの自画像に自分の顔をCGであてた絵画なども製作しているとても面白い方。

ドロテー・ゴルツ / 「コーヒー・セレモニー」
コーヒーをいただき、この「溶けた」コーヒーカップを持って記念撮影するのがこの「コーヒー・セレモニー」プロジェクト。喫茶(茶室)という日本の所作と、コーヒーというヨーロッパの文化が溶け合ったらどうなるか。

最後には、コーヒー色の絵の具で習字をすることでプロジェクトはおしまいになる。いやー、この字の汚さ…

古巻和芳+夜閒工房 / 「繭の家─養蚕プロジェクト」
最後はふたたび場所を変えて、絹糸の元となる繭玉を使った作品。3年前の2006年にはジオラマなどの作品を作り、今回はそれを発展させた形で繭グッズなどが作られている。繭玉は裏側からライトが当てられ、まばゆく明滅を繰り返す。日の光を見ているよう。

古巻和芳+夜閒工房 / 「繭の家─養蚕プロジェクト」
窓辺には光のシャワーのような形で繭玉が斜めにかかっている。外から射し込む白い光と繭玉の白さが、古民家の濃い暗がりの中にぼうっと浮かんでくる。ぴんと張り詰めた、しずかな光と影の美しさ。

古巻和芳+夜閒工房 / 「繭の家─養蚕プロジェクト」
これがすべて繭玉。ジリジリというランプの音がどこか生々しく、ため息が出るほど美しい。手前にある行李のようなものを開けると明かりは消え、中の真っ白なジオラマが光る。メディアアートというのは、対象がナマっぽいほどに美しくなるものなんだなと逆説的なことを考えさせられる作品。
(記事は後編につづきます)
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・巨大な色鉛筆が落っこちてきそうな森―― 大地の芸術祭2009レポート@野外【後編】
・田んぼの中から巨大な帆船が出航?! ――大地の芸術祭2009レポート@野外【前編】
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■関連サイト
・越後妻有アートトリエンナーレ 大地の芸術祭2009






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