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今度はピノキオまで悪キャラに――アングレームを受賞したヴィンシュルスの傑作!

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Vincent Parronaud 「Monsieur Ferraille」
## 原正人の「なぜ私はヨーロッパマンガを愛するようになったか」
「こんな時代だからアクセスできるけど、気軽に手を出すにはちょっとよくわからん」というマンガを深追いする連載企画。フランスマンガ研究家の原正人氏が、いまだ知られざるヨーロッパマンガの魅力を隔週金曜日にどっぷりと紹介していく。
 前回はヴィンシュルスの代表作として主に『ムッシュー・フェライユ』を紹介した。ディズニー映画をはじめとするアメリカのかわいいマンガやアニメーションを参照しつつ、内容的にはあきらかにアンダーグラウンドな、下品でバカバカしく、時に嫌悪感を抱かせるような作品を描くというのがヴィンシュルスの特徴である。
 しかし、ヴィンシュルスの力量はそこにだけ留まるものではない。2001年刊の『デス・クラブへようこそ』(Welcome to the Death Club, 6 Pieds sous Terre)や『パット・ブーンのハッピー・エンド』(Pat Boon – Happy End, L’Association)は、同じような下品な話を語りつつも、そこにそこはかとない叙情が漂っているのである。なお、これらの作品はどちらも白黒で、ほとんどセリフなしで描かれている。

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■親子と死の姿を描いた短編に注目「デス・クラブへようこそ」

 『デス・クラブへようこそ』は死をテーマにした短編集だ。とりわけ「父と息子」という死神の父子の話が最高!
 ある日、テレビで人間の子どもを救う天使の番組を見て、息子はそれに憧れを抱く。父が仕事で出かけている間に天使の輪や羽根を自作し、おまけに全身白塗りをして、鏡の前に立ち、悦に入っている。
 そこに父が帰ってきて、息子はこっぴどく叱られてしまう。いじけた彼は死神の父との決別を決意し、天使の使命を全うしようと人間界に向かうのだが、そこで彼を待っていたのは……というお話。
 家出する息子の姿に目をそらす父親の背中の哀愁が実にいい。

「Welcome to the Death Club」
  
■どうしようもない日々が美しい「パット・ブーンのハッピー・エンド」
 『パット・ブーンのハッピー・エンド』はさえない青年、ブーンの日常を描いた作品。

 女に振られ、バーでぼったくられ、近所の年寄りにいじめられ……とまったくいいことなしの彼の日常だが、絶望しきっていた彼に思いがけないハッピー・エンドが訪れるという話である。
 絶望の中に訪れる救いは最低のものなのだが、なぜかほろりとさせられてしまう。作中作のような形で、クリュック&クリュックスというKKKの二人組やパット・ブーンの数少ない友人でぶっちょスリム、パット・ブーンをいじめるおばあちゃんの逸話が語られたりしていて、これがまたかわいい。
 ヴィンシュルスのこのような側面はアニメーションの仕事にも表れている。「レイジング・ブル」ならぬ「レイジング・ブルース」(Raising Blues)という短編があるのだが、ヴィンシュルス一流の悪意のようなものはほの見えるものの、これは前回紹介したムッシュー・フェライユものとはかなり趣きを異にしている。

「Pat Boon – Happy End, L’Association」
  
■アングレームで受賞、アニメだけではなくマンガでも評価される作家に!

 さて、このような仕事を続けてきたヴィンシュルスが一躍脚光を浴びたのが、前回の冒頭で紹介したアニメーション作品『ペルセポリス』だった。日本では公開こそされたものの、そこまで注目を浴びなかったようだが、非常にすばらしい作品である。マルジャン・サトラピの原作を読んだ者にも十分楽しめる作りになっている。
 『ペルセポリス』はあくまでアニメーションの仕事だったが、昨年ついにヴィンシュルスはバンド・デシネにおいても広く知られることになった。2008年に出版された彼の最新作『ピノキオ』(Pinocchio, Les Requins marteaux)がアングレーム国際バンドデシネ・フェスティヴァルで、最優秀作品賞を受賞したのである。
 これはディズニーの『ピノキオ』を換骨奪胎した作品で、『ムッシュー・フェライユ』において見られたヴィンシュルスの悪意は健在である。ディズニー版では、ピノキオを人間らしく見せようという努力が払われているのだが、ヴィンシュルス版のピノキオはいつまでたっても何を考えているのかわからない不気味なロボットにすぎない。
 ピノキオの良心であるはずのこおろぎのジミニーは、ピノキオに寄生して飲んだくれ、芸術家気取りで非生産的な日常を送るたちの悪いゴキブリとして描かれる。色情狂の七人の小人まで現れ、ヴィンシュルス節全開である。
 実は、彼は『ムッシュー・フェライユ』の中で『ピノキオ』ネタに既に一度挑戦している。露悪趣味が少々鼻についたその作品を、彼は長い年月をかけて、悪意はそのままに見事なエンターテインメントに仕立てあげることに成功した。
 ヴィンシュルスの今後の活躍に要注目である。
 
「Pinocchio, Les [...]

こんなに悪そうなロボット初めて見た―― フランスの気鋭・ヴィンシュルスが描く、メタメタ黒笑漫画

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Vincent Parronaud 「Monsieur Ferraille」
## 原正人の「なぜ私はヨーロッパマンガを愛するようになったか」
「こんな時代だからアクセスできるけど、気軽に手を出すにはちょっとよくわからん」というマンガを深追いする連載企画。フランスマンガ研究家の原正人氏が、いまだ知られざるヨーロッパマンガの魅力を隔週金曜日にどっぷりと紹介していく。
 前回の記事でアルチュール・ド・パンスを紹介した流れで、今回も日本ではあまり知られていない若い世代の作家を紹介したい。
 今回紹介するのはヴィンシュルス(Winshluss)という作家だ。1970年フランス生まれだから若手というと違和感があるかもしれない。ここ数年の活躍で、フランスでの知名度はかなり上がっていると思われる。

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■何を隠そう、あのアニメ映画「ペルセポリス」の監督です
 日本でこの作家の名前を知っているという人はかなりのBD通と言っていいのではないだろうか? あるいは、ヴィンシュルスの本名ヴァンサン・パロノー(Vincent Parronaud)なら聞いたことがあるという人がいるかもしれない。

 何を隠そうヴィンシュルス=ヴァンサン・パロノーとは、マルジャン・サトラピ原作のバンド・デシネ『ペルセポリス』(バジリコ刊)のアニメ版をサトラピその人と共同監督した人物なのだ。
 フランスでは1990年頃から、SFや冒険もの、ヒロイック・ファンタジーといった大手出版社の主流とは異なるテーマの作品を、若い作家たちが小出版社から出版しはじめ、それがバンド・デシネを内容的にも外形的にも変えていくことになる。
 代表的な作家が上に挙げたサトラピや彼女の先輩に当たるダヴィッド・ベー、ルイス・トロンダイム、エマニュエル・ギベール、ジョアン・スファールだったりするのだが、その周辺に多くの作家たちがおり、ヴィンシュルスもそういった作家の一人だった。

 ヴィンシュルスは仲間たちと語らってレ・ルカン・マルトー(Les Requins marteaux)というグループを形成し、その雑誌『フェライユ(※くず鉄の意)』(Ferraille)に『ムッシュー・フェライユ』(Monsieur Ferraille)という同名のロボットを主人公にした一連の作品を掲載する。
 日本語に訳せば、「ミスターくず鉄」とか「くず鉄マン」ぐらいな感じだろうか。この作品は後にまとめられ一冊の本として出版されている(表紙は右、Monsieur Ferraille, Les Requins Marteaux, 2001)。
 表紙をご覧いただけばわかるとおり、実にかわいらしいキャラクターが描かれているのだが、その内容ときたら、下品きわまりない。裏表紙もご覧いただこう。この表裏の絵が『ムッシュー・フェライユ』の特徴を見事に要約している。

 もう少し詳しく紹介しておくと、内容的には、ムッシュー・フェライユが無垢な女性をかどわかしたり、恋に悩む弟分のボブに仕様もないアドヴァイスし、その結果惨事が起こるという話ばかりである。ヴィジュアルの参照項はアメリカの古いコミックスやアニメーションで、それらに対するからかいに満ちたパロディーが次々と展開される。
 中でも傑作は、第二次世界大戦直前にさえないマンガを描いていたマンガ家ウォルトシュルスとゴンゾの数奇な運命を語るという一種のメタ作品。
 『スーパー・ロボット』という作品で一躍有名になった彼らが、運命に操られるままヒトラーのドイツ、スターリンのソ連を経てロズウェルに辿りつくという実にバカバカしい話に仕上がっている。
 巻末に収められたムッシュー・フェライユがボブと連れだって、アングレーム国際バンドデシネ・フェスティヴァルを訪れるという話も実にいい。
 
Vincent Parronaud 「Monsieur Ferraille」
 冒頭でヴィンシュルスが『ペルセポリス』アニメ版の監督を務めているという話をしたが、彼はバンド・デシネの作家であると同時に、アニメーション作家でもある。ムッシュー・フェライユものの« O’ boy, What nice legs ! »という短いが実にいい味の作品があるのでご覧いただこう。
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フランス漫画にエロカワ×ポップな新人類 アルチュール・ド・パンスのキュートな世界

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Arthur de Pins 「Petits Péchés Mignons」
## 原正人の「なぜ私はヨーロッパマンガを愛するようになったか」
「こんな時代だからアクセスできるけど、気軽に手を出すにはちょっとよくわからん」というマンガを深追いする連載企画。フランスマンガ研究家の原正人氏が、いまだ知られざるヨーロッパマンガの魅力を隔週金曜日にどっぷりと紹介していく。
 今回は今まで紹介してきた作家たちとは趣きを異にする若い作家を紹介したい。
 彼の名前はアルチュール・ド・パンス(Arthur de Pins)、1977年生まれの32歳。アニメーションを学び、イラストレーターを経て、今現在はバンド・デシネも精力的にこなす男性作家だ。彼の仕事はまだまだ日本では広く知られていないが、この夏に日本を訪れた彼からいろいろと話を聞くことができた。

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■「パワーパフガールズ」風のポップなイラストだけど、セックスシーンも出てきます

 頭が大きく目のパッチリしたキャラクターが特徴的で、その作風は日本のマンガ・アニメの影響を強く感じさせる。実際、マンガ・アニメ、さらにはテレビ・ゲームから受けた影響をはっきりと認めている。
 彼が描くイラストレーションやバンド・デシネはきわどいテーマを扱ったものが多い。セックスシーンがあけすけに描かれていたりもする。だが、爽やかな色を使っていることや登場人物たちがあっけらかんとしていることもあって、絵にいやらしさが感じられない。
 フランスでは、バンド・デシネはまだまだ男性ファンのものという通念があるのだが、彼の作品には女性ファンも多いのだとか。

 現在、フリュイド・グラシアル(Fluide Glacial)という出版社から『かわいい罪』(Péchés Mignons)というバンド・デシネを刊行中だ。単行本が既に第三巻まで出ていて、年内には第四巻も出版される予定。
 内容はアルチュールという青年の日常を女性遍歴中心にユーモアを交えつつ描いた作品だ。日本のマンガに比べると生真面目な印象のあるバンド・デシネの中にこのような作品を発見するのは楽しい。
 なお、第二巻の途中からはクララという女性主人公も登場し、今度は彼女の男性遍歴も描かれるようになる。彼女の話を考えるに当たって、物語によりリアリティを与えるために、アルチュールはマイア・マゾレット(Maïa Mazaurette)という女性の原作者を迎えている。
 
■アニメ作家としての手腕も高評価 最新作は「カニ革命」
 作家としてはまだまだキャリアが浅く、『かわいい罪』とその再編集版である『小さなかわいい罪』(Petits Péchés Mignons)を除けば、作品は存在していない。一方、アルチュールの原点であるアニメーションについては、既に高い評価が与えられている。
 最新作は2004年の『カニ革命』(la Révolution des crabes)。この作品は2004年度のアヌシー国際アニメーション・フェスティヴァルで、観客賞を受賞している。5分ほどの短いアニメーションだが、いかにもフランス的な気の利いた作品である。
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 なんでも目下この作品を劇場用長編アニメーションにすべく活動中なのだとか。タイトルは『カニの歩み』(La Marche du crab)になる予定。さらには、アニメーションの企画に合わせてバンド・デシネ版を作る企画も浮上中だそうだ。
 それ以前の作品、『ジェラルディン』(Geraldine、2000年)と『センチメンタル』(Eau de Rose、2003年)も、それぞれ魅力的な作品である。個人的には『センチメンタル』がお気に入りだ。前者はフランス語のセリフが一切ないアニメーションで、字幕がなくても気兼ねなく見ることができる作品である。ぜひチェックしていただきたい。
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主人公の行動を予期するマンガ、ページをバッサリ切り抜いたマンガ――フランスのマンガ家、アントワーヌ・マチューは謎だ!!

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Marc-Antoine Mathieu 「Julius Corentin Acquefacques, prisonnier des rêves」
## 原正人の「なぜ私はヨーロッパマンガを愛するようになったか」
「こんな時代だからアクセスできるけど、気軽に手を出すにはちょっとよくわからん」というマンガを深追いする連載企画。フランスマンガ研究家の原正人氏が、いまだ知られざるヨーロッパマンガの魅力を隔週金曜日にどっぷりと紹介していく。
 前回に引き続き、マルク=アントワーヌ・マチュー(Marc-Antoine Mathieu)を紹介したい。今回紹介するのは彼の代表作、『夢の囚われ人ジュリアス・コランタン・アクファック』(Julius Corentin Acquefacques, prisonnier des rêves)の第一巻「起源」(L’Origine)。さっそくどんな話か見ていくことにしよう。

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■これってジョジョ第3部の「オインゴ・ボインゴ」じゃない?「夢の囚われ人 ジュリアス・コランタン・アクファック #1 起源」

 「ユーモア省」に勤めるジュリアス・コランタン・アクファックはある日、奇妙な封筒を受け取る。差出人不明のその封筒を開くと、驚いたことに彼のその朝の様子が、一枚の紙片に克明なマンガとして再現されている。
 紙片の上部にはタイトルと思しい「起源」なる言葉が…… だが、その言葉は主人公が生きる世界ではその存在を知られていない言葉だった。やがて第二の封筒が届く。今度は書きとめがあり、翌日の15時まで開封しないように命じている。
 翌日、友人のダランベール兄弟と指定された時間を迎えるジュリウス。刻限を迎え、封を開けると、前回と同じような紙片に今度は封を開ける直前の三人の様子がマンガで描かれている。
 封筒にはさらにもう一枚の紙片が収められていて、そこにはジュリウスがまだ知らぬ未来のことが描かれているのだった…… どうやら彼の人生はこれらの紙片にことごとく支配されてしまっているらしい。かくしてこれらの紙片の謎をめぐって、ジュリウスの冒険が繰り広げられる……
 
Marc-Antoine Mathieu 「Les Sous-sols du Révolu」
 前回紹介した『ル・デッサン』や『レヴォリュ美術館の地下――ある専門家の日記より』と同様にこの作品も眩暈を起させるようなしかけに満ちている。
 例えば、この作品の入れ子構造。この作品がマンガ表現で描かれている以上、読者である私たちが目にするジュリウスの行動そのものと彼が目にする彼の人生を語るマンガとの間に実質的な絵柄の違いはない。
 二つの次元を変えることもできたのであろうが、作者は敢えてそれをしていない。ジュリウスが目にするマンガで表現された過去と未来は、物語の筋を語る部分と意図的にまったく同じ絵で描かれており、同じ絵の繰り返しによる入れ子構造が読者を眩暈へと誘う。

Marc-Antoine Mathieu 「Les Sous-sols du Révolu」
 ■祖父江慎さんも驚く?本そのものを切り取る「反-コマ」という発想
 さらに、マルク=アントワーヌ・マチューはこの作品に「反‐コマ」(anti-case)なるものを導入している。なんと、あるページのあるコマをそっくりそのままくり抜いて次のページの、あるいは前のページのコマが見えるようにしてしまったのだ。反‐コマは物語内の過去‐現在‐未来を攪拌し、時間にひずみを生じさせる。

 唐沢なをきの『カスミ伝』にでも出てきそうなしかけだが、そもそもよくこんなものの印刷を出版社が快諾したものだ。
 さもありなんという感じだが、作者自身がインタビューで一時期アルゼンチンの幻想文学の大家ホルヘ・ルイス・ボルヘスに傾倒したことを認めている。たしかに彼の作品には「バベルの図書館」や「トレーン、ウクバール、オルビステルティウス」といった作品に通底するものが見受けられる。

Marc-Antoine Mathieu 「Les Sous-sols du Révolu」
 なお、シリーズの総称にもなっている登場人物の名前アクファック(Acqufacques)だが、これはカフカ(Kafka)のアナグラムなのだそうだ。
 同様に「めまい志向」の幻想的なBD作家としては、『闇の国々』(Les [...]

知られざる漫画家アントワーヌ・マチュー、「ルーヴル美術館の謎」巡る物語に注目

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Marc-Antoine Mathieu 「Les Sous-sols du Révolu」
## 原正人の「なぜ私はヨーロッパマンガを愛するようになったか」
「こんな時代だからアクセスできるけど、気軽に手を出すにはちょっとよくわからん」というマンガを深追いする連載企画。フランスマンガ研究家の原正人氏が、いまだ知られざるヨーロッパマンガの魅力を隔週金曜日にどっぷりと紹介していく。
 マルク=アントワーヌ・マチュー(Marc-Antoine Mathieu)というバンド・デシネ※1作家をご存知だろうか?
 かつて『エラー』Vol. 02(美術出版社、2001年)に『ル・デッサン(Le Dessin)』という作品の冒頭部分が訳載(ボワレ、関澄訳)されたこともあるが、日本ではまだまだ知られざる作家である。
※1 バンドデジネ:Bande Dessinée、フランス語で「コマ割り漫画」の意

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 ■多作ではないが、傑作だけを生みだす職人系作家
 マチューは1959年フランス生まれ。1986年、バンド・デシネの作家としてデビューした。1988年、彼の兄弟ジャン=リュック(Jean-Luc)と『パリ・メイソン』(Paris-Maçon)を出版(フュチュロポリス刊)。
 1990年にはデルクール社から『夢の囚われ人ジュリアス・コランタン・アクファック』(Julius Corentin Acquefacques, prisonnier des rêves)というシリーズの第1巻「起源」(L’Origine)を発表。翌年のアングレーム国際バンド・デシネ・フェスティヴァルで最優秀シナリオ賞を受賞し、世に認められた。
 同作品は5巻まで刊行され、『ル・デッサン』(原書は2001年、デルクール刊)をはじめ他の作品も発表した。決して多作ではないが、傑作を着実に描いていく作家だ。
 ■「ダ・ヴィンチ・コード」より面白いかも?絵画がをめぐる歴史と謎を読み解く「ル・デッサン」「レヴォリュ美術館の地下―」

 『エラー』Vol. 02に掲載された『ル・デッサン』は、ある画家が、親友の画家の死に際して形見としてもらった絵の中に秘められたある謎を解き明かす話だ。
 翻訳はその謎が提示される場面で終わってしまうのだが、友人から引き取った小さな絵が信じがたい奥行きを持っており、主人公がそこから汲めども尽きぬ細部を引き出していくさまが驚異に満ちていて、実にすばらしい。
 白黒の画面は一見スタイリッシュな印象を抱かせるが、シャープな描線で描かれた幾何学的な幻想は非常に神経的で、読者は彼の絵に眩暈を覚えるに違いない。

 最近の仕事のひとつが、2006年に刊行された『レヴォリュ美術館の地下―ある専門家の日記より』(Les Sous-sols du Révolu – Extraits du journal d’un expert)だ。
 レボリュ(révolu)とは「時が過ぎ去った」というほどの意味。この作品の中ではルーヴル美術館の本当の名は過去に失われて久しく、今ではさまざまな異称で呼ばれている。
 主人公のウード・ル・ヴォリュムール(Eudes Le Volumeur)は、お供のレオナール(Léonard)とともに、その実態がつかめなくなって久しい美術館の全貌を把握するべく、地下倉庫の冒険に身を投ずる。
 何百日、何千日かけても果てることがない美術館の地下世界は、少しずつその驚くべき姿を開陳していく。
 
Marc-Antoine Mathieu 「Les Sous-sols du [...]

ベルギー生まれの画力系マンガ家、シュイッテンの美技に酔う!【後編】

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Schuiten 「SAMARIS」
## 原正人の「なぜ私はヨーロッパマンガを愛するようになったか」
「こんな時代だからアクセスできるけど、気軽に手を出すにはちょっとよくわからん」というマンガを深追いする連載企画。フランスマンガ研究家の原正人氏が、いまだ知られざるヨーロッパマンガの魅力を隔週金曜日にどっぷりと紹介していく。
 今回は、前回取りあげたシュイッテン(Schuiten)&ペータース(Peeters)の『闇の国々』(Les Cités obscures)から二点ほど選んでご紹介したい。まずはシリーズ第一作目、1983年に出版された「サマリの城壁」(Les Murailles de Samaris)である。

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■サマリの城壁 Les Murailles de Samaris (1983)

 人々が平穏に暮らす都市クシストスにある噂が広がる。ここ数年、近隣の都市サマリを訪れた旅人がことごとく姿を消してしまっているらしい。主人公フランツは視察をすべく単身サマリへと乗り込む。
 故郷を離れ、数週間に及ぶ旅を終えた彼を迎えたのは、閑散としてどこかよそよそしい雰囲気を持った巨大な都市だった。どれもこれも似た形をした迷宮じみた建築物たち、壁で塞がれた扉や窓、常にやむことのない微音、年若い住人の不在……。
 やがてフランツはカルラという女と知り合うが、彼女の態度もフランツを不安にさせるものだった。同じ挨拶、同じ会話の内容、居心地の悪さ、そして唐突な別れ……。
 長期にわたる滞在の末、得るところのないことを悟ったフランツは調査を打ち切り、クシストスへの帰還を決断する。だが、出発前夜、サマリは彼に思いもよらぬ真実の姿をさらすことになる。それは外見とは裏腹のまるで植物のごとき姿だった……。
 
Schuiten 「SAMARIS」
 アール・ヌーヴォー様式を思わせる華麗な装飾、人間から主役の座を奪ってしまったかに見える建築物、幻影のような住民たち……。幻想文学好きだったら夢中になるに違いないお膳立てである。元ネタの一つと思しいビオイ=カサレスの大傑作小説『モレルの発明』(水声社)にはさすがに及ばないにしても、実にすばらしい作品だ。
 続いて、1988年に出版された「ある男の影」(L’Ombre d’un homme)を紹介しよう。
  
■ある男の影 L’Ombre d’un homme (1988)

 保険会社に勤めるアルベール・シャミッソーは将来を嘱望された有能な営業マンだが、夜毎おそろしい悪夢にうなされるのが悩みの種である。
 彼は何とかして悪夢から逃れようと、高名な医師の元へ通う。薬が効を奏したのか悪夢はぴたりとやんだが、代わりに奇妙な現象が彼の身に降りかかる。なんと彼の影に色がついてしまったのだ!
 まるで彼自身が光源にでもなったかのように、その後、常に彼そっくりの映像がついて回ることになる。その日を境に、彼のそれまでの幸福な生活は失われてしまう。色つきの影のせいで行く先々で騒動がまきおこる。
 挙句には会社から一方的に解雇され、妻からも見放されてしまう……。傷心のアルベールは人目を避けるように住まいを変え、ひっそりと暮らし始める。昔日の面影はなく、今では近所の子どもたちの笑いものになっている。
 なるべく人との接触を避けて生活していたアルベールだが、ひょんなことから向かいのアパートに住む女優の卵ミンナと親しくなり、それがきっかけで彼の生活は少しずつ変わっていく……。
 
Schuiten 「L’Ombre d’un homme」
 主人公の名前とタイトルを見れば一目瞭然だが、シャミッソーの『影をなくした男』(岩波文庫)が元ネタになっている。第一作の「サマリの城壁」もそうだが、文学や美術等、さまざまな先行テクストを自由自在に取り込みつつ、豊かな作品を紡いでいくシュイッテン&ペータースの作劇法は実に魅力的だ。
 『闇の国々』シリーズは悲劇的な結末に終わることが多いのだが、この作品はその中では例外的だ。デッサンの見事さは相変わらずだが、カラー表現は第一作に比べると、格段によくなっている気がする。
 
■そのほかの作品について
 今回は二点ともカラーの作品を紹介したが、前回図版を紹介したシリーズ二作目、1985年刊の「ユルビカンドの熱病」(La Fièvre d’Urbicande)や三作目、1987年刊の「塔」(La Tour)など、白黒作品にも目を瞠るべきものがある。「塔」などは一部分カラーを用いるという実験的な手法も用いていて、シュイッテン&ペータースのバンド・デシネという表現手段に対するこだわりがうかがえる。
 六作目の「傾いた少女」などは、写真を取り入れ、実在の伝説的なBD作家を登場人物に採用するという懲りようである。
 そういった点で興味深いのが外伝的な作品で、1987年に出版された「古文書管理官」(L’Archiviste)などは、私たちの世界に住むある人間がさまざまな書物に残された「闇の国々」の痕跡をかき集め、その存在を類推するという趣向の本だが、40×30センチという巨大な版型が採用されていて、実に遊び心に富んでいる。
 紙幅の関係で今回はこれだけしかご紹介できなかったが、また機会を改めて「闇の国々」の全貌をご紹介したい。
 text & translation by 原正人
## 原正人の「なぜ私はヨーロッパマンガを愛するようになったか」
「こんな時代だからアクセスできるけど、気軽に手を出すにはちょっとよくわからん」というマンガを深追いする連載企画。フランスマンガ研究家の原正人氏が、いまだ知られざるヨーロッパマンガの魅力を隔週金曜日にどっぷりと紹介していく。
第1回 「荒木飛呂彦と宮崎駿の共通点は?」 (4月3日)
第2回 「エンキ・ビラル最新作『アニマルズ』を読む」 (4月3日)
第3回 「フランス漫画の巨匠・メビウス来日!」(5月7日)
第4回 [...]

ベルギー生まれの画力系マンガ家、シュイッテンの美技に酔う!

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Schuiten 「SAMARIS」
## 原正人の「なぜ私はヨーロッパマンガを愛するようになったか」
「こんな時代だからアクセスできるけど、気軽に手を出すにはちょっとよくわからん」というマンガを深追いする連載企画。フランスマンガ研究家の原正人氏が、いまだ知られざるヨーロッパマンガの魅力を隔週金曜日にどっぷりと紹介していく。
 海外マンガに興味を持つと、日本ではなかなか翻訳紹介してくれるところがなく、身もだえすることが多いのだが、そういった状況下で貴重な仕事をしてくれている数少ない媒体の一つ『MANDALA』(講談社)の最新第3号がつい先ごろ出版された。
 2007年から年1冊のペースではあるが、着実に海外マンガを紹介してくれている。今回もセラやニコラ・ネミリといったフランスの作家、トンマーソ・ベンナート、デ・ルカ、レイラ、イゴルト、パルンボといったイタリアの作家、ドイツのシュルトハイスや、スペインのケン・ニイムラ、アナ&マッツの作品が掲載されている。ぜひ応援したいところだ。
 さて、本題に入ろう。前回、前々回のニコラ・ド・クレシーに続き、今回はフランソワ・シュイッテン(François Schuiten)を紹介したい。なお、今回は慣例でシュイテンと呼ぶが、本来は「スキュイテン」と発音される。

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 シュイテンの作品は『エラー』(美術出版社)のvol.01と02で紹介されている他、『JAPON』(飛鳥新社)や古くは『モーニング』の1993年第9号にも掲載されたので、それらを通じて知っているという人がいるかもしれない。

 ド・クレシーと並んで日本でも割と知られている数少ないBD作家の一人だ。2003年に川崎市民ミュージアム他で行なわれた「フランスコミック・アート展」でも原画が展示されたそうなので、そこで見た人もいるのではないだろうか。
 かく言う筆者もシュイテンを初めて知ったのは同展のカタログを通してだった。とにかく圧倒的な画力が魅力の作家である。
 シュイッテンは1956年4月生まれ。父親と兄が建築家だ。デビューはかなり早いようで、16歳の時に『ピロット』という雑誌のベルギー版に作品が掲載されている。その後、ベルギーのサン=リュック美術学院というところでBDを学び、プロの世界に入ることになった。

 最初の単行本の後、兄のリュックと制作した『空洞惑星』(Les Terres creuses)という3巻本のシリーズを1981年から出版。それと並行する形で、1983年からは『闇の国々』(Les Cités obscures)というシリーズを、こちらはブノワ・ペータース(Benoît Peeters)の原作で出版し始め、現在にいたる。
 2002年にはアングレーム国際バンド・デシネ・フェスティヴァルで、その仕事の総体を評価差され、グランプリを受賞した。バンド・デシネを代表する作家の一人である。
 地球空洞説を下敷きに架空の世界をみごとな筆致で描ききる『空洞惑星』シリーズもいいのだが、ここでは彼と原作者、ブノワ・ペータースのライフ・ワークと言っていい『闇の国々』シリーズに着目することにしよう。
 
Schuiten 「La Fievre D’vrbicande」(左)、「Les Cites obscures」(右)

 『闇の国々』とはいったいどういったものか。この総称のもと、今現在、本編に当たる作品が11巻、外伝的な作品が13巻出版されている。
 一通り本編を読み、外伝的な作品にいくつか目を通した結果から言うと、どうやらこの膨大な作品群は、特に19世紀以降の近代ヨーロッパという舞台設定を用いて、パラレル・ワールドを作ろうという遊びであると同時に、あわよくば近代ヨーロッパの意味を捉え直そうという試みであるらしい。
 このパラレル・ワールドにはさまざまな都市(むしろ国と言うべきか)が存在しており、その都市で起きるいろいろな出来事が語られる。純粋に幻想的な話もあれば、かなり歴史、政治的な話になることもある。
 必ずしも時代が統一されているわけではなく、19世紀と思しい時代が舞台になる一方で、ほぼ現代と言っていい時代が描かれたりもする。時には都市同士の交渉や、さらには「闇の国々」と実在した歴史の交渉が描かれることもある。
 各巻で、時に現実の、時に架空の都市を下敷きにしたさまざまな都市が、人間たちを翻弄するさまが描かれる一方で、過去に存在した歴史上の人物たちが、実在の世界と「闇の国々」の間を往還するさまが描かれるのが実に魅力的である。
 次回はこの『闇の都市』シリーズの作品をいくつか選んで紹介したい。
 text by 原正人
## 原正人の「なぜ私はヨーロッパマンガを愛するようになったか」
「こんな時代だからアクセスできるけど、気軽に手を出すにはちょっとよくわからん」というマンガを深追いする連載企画。フランスマンガ研究家の原正人氏が、いまだ知られざるヨーロッパマンガの魅力を隔週金曜日にどっぷりと紹介していく。
第1回 「荒木飛呂彦と宮崎駿の共通点は?」 (4月3日)
第2回 「エンキ・ビラル最新作『アニマルズ』を読む」 (4月3日)
第3回 「フランス漫画の巨匠・メビウス来日!」(5月7日)
第4回 「フランス漫画の巨匠・メビウスを「日本語」で読む」(5月22日)
第5回 「超絶技巧のアート漫画、ニコラ・ド・クレシーを読むっ!【前編】」(6月12日)
第6回 「超絶技巧のアート漫画、ニコラ・ド・クレシーを読むっ!【後編】」(6月26日)
第7回 「ベルギー生まれの画力系マンガ家、シュイッテンの美技に酔う!」(7月9日)

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超絶技巧のアート漫画、ニコラ・ド・クレシーを読むっ!【後編】

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Nicolas De Crecy 「Salvatore」
## 原正人の「なぜ私はヨーロッパマンガを愛するようになったか」
「こんな時代だからアクセスできるけど、気軽に手を出すにはちょっとよくわからん」というマンガを深追いする連載企画。フランスマンガ研究家の原正人氏が、いまだ知られざるヨーロッパマンガの魅力を隔週金曜日にどっぷりと紹介していく。
 前回に引き続き、ニコラ・ド・クレシーの作品を紹介したい。

 前回は実質的な処女作と言っていい作品『フォリガット』(1991年)と、その後に出版された彼の代表作の一つ『麻薬のレオン』(全3巻、1995~1998年)を紹介したが、後者を出版するのと同じ時期に、ド・クレシーは『ムッシュー・フルーツ』(Monsieur Fruit)という作品を発表している(全2巻、スイユ社刊、1995~1996年)。
 『フォリガット』や『天空のビバンドム』を特徴づけていた重厚な色彩はまったく放棄され、この作品ではほぼすべてが鉛筆で描かれている。さるインタビューによれば、極度に軽く、スピード感があり、生き生きとしたものを描きたかったのだそうだ。
 絵画的な重厚な画面に対する愛を隠さないド・クレシーだが、一方で彼は、シンプルな描線と効率的な語りにも関心を持っている。それが前面に出始めたのがこの時期である。よく言われることだが、情報量の多い画面は見る者の視線をそこに釘付けにしてしまう。

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 物語を先に進めていきたいマンガ表現にとってデメリットになりかねないこのような罠について、ド・クレシーはたいへん意識的だ。『天空のビバンドム』(全3巻、1994~2002年)で重厚な表現の頂点を極めた後は、作品を読みやすいようにするために細心の注意を払っているように見える。

 日本でも『slip』(飛鳥新社、2005年)に掲載された「プロゾポプス」(Prosopopus)という作品は、こうした関心の延長線上にある作品である(同短編を収める仏語版の単行本は2003年にデュピュイ社から出版されている)。セリフのないアクション主体の作品で(とは言え、物語の後半はド・クレシー節全開のおかしな展開になる)、着色されてはいるものの、コンピューターによるカラーリングは決してスムーズな読書の妨げにはならない。
 2005年には『サルヴァトール』(Salvatore)の第1巻が出版される(デュピュイ社刊、第2巻は2006年)。
 初恋の女性を探して機械技師のサルヴァトールが冒険を繰り広げる愛らしい作品だが、ここでもシンプルな描線と軽やかな色彩が採用されている。
 
Nicolas De Crecy 「Salvatore」

 読みやすさを志向したこれらの物語作品と若干趣きを異にするのが、2007年にフュチュロポリス社から出た『あるおばけの日記』(Journal d’un Fantôme)だ。
 この作品の冒頭部分は「新しき神々」というタイトルで『JAPON』(飛鳥新社、2006年)に収められているから、そちらをご存知という方がいるかもしれない。
 これからフランスでキャラクターになろうというキャラクター見習いがマネージャーと一緒に日本に勉強に来るという話で、日本のさまざまなキャラクターを引用しつつ、キャラクターとは何なのかを描いた実に興味深い作品である。
 日本滞在中にこの作品を描いたド・クレシーは、その後、この短編を『あるおばけの日記』という単行本にするに当たって、日本でのエピソードを大幅に膨らませ、さらに帰国の途につく主人公(=キャラクター見習い)を作者自身に出会わせ、作者の体験まで盛り込んでいる。
 
Nicolas De Crecy 「Journal d’un Fantôme」
 ご存知の方も多いかもしれないが、1990年頃からフランスでは自伝的な作品が増えるようになる。邦訳のあるダヴィッド・ベーの『大発作』(明石書店)やマルジャン・サトラピの『ペルセポリス』(バジリコ)がその代表だ。
 ド・クレシーの『あるおばけの日記』は必ずしも作者の生い立ちを語っているわけではないのだが、ある生成途中にあるキャラクターに仮託して、作者にとって人生そのものだと言っていい絵とは何なのかという問いに向き合っている点で、この自伝的なバンド・デシネの系譜上にある作品だと言っていい。主人公と作者が繰り広げるキャラクター談義が実に楽しい。ここではこれ以上深く掘り下げないが、マンガ表現とは何かを語った大傑作だと述べておこう。

 さらに、今年に入って、ド・クレシーは『ゴードン・マクガファンのメモ帳』(Les Carnets de Gordon McGuffin)という作品をピエール・サンジュ(Pierre Senges)の原作をもとに描いている。これはハリウッドの黄金時代に居合わせたある映画人の架空の回想録で、映画の黄金期を斜に眺めたエピソードが実に楽しい。
 とは言え、この作品は各エピソードを短いテクストと挿絵のセットで語る形式で、いわゆるバンド・デシネではない。これについてはまた折を見て紹介することにしよう。
 ぜひ実際に読んでいただきたいところだが、「プロゾポプス」を除けば、残念ながら邦訳はまったくない。絵だけでも十分素晴らしいのだが、今回挙げたような作品は物語がわからないとその魅力を十全に味わったとは言えないだろう。いずれ日本語で読めるようになることを期待したいところだ。
 text by 原正人
## 原正人の「なぜ私はヨーロッパマンガを愛するようになったか」
「こんな時代だからアクセスできるけど、気軽に手を出すにはちょっとよくわからん」というマンガを深追いする連載企画。フランスマンガ研究家の原正人氏が、いまだ知られざるヨーロッパマンガの魅力を隔週金曜日にどっぷりと紹介していく。
第1回 「荒木飛呂彦と宮崎駿の共通点は?」 (4月3日)
第2回 「エンキ・ビラル最新作『アニマルズ』を読む」 (4月3日)
第3回 「フランス漫画の巨匠・メビウス来日!」(5月7日)
第4回 「フランス漫画の巨匠・メビウスを「日本語」で読む」(5月22日)
第5回 「超絶技巧のアート漫画、ニコラ・ド・クレシーを読むっ!【前編】」(6月12日)
第6回 「超絶技巧のアート漫画、ニコラ・ド・クレシーを読むっ!【後編】」(6月26日)

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超絶技巧のアート漫画、ニコラ・ド・クレシーを読むっ!【前編】

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Nicolas De Crecy 「Foligatto」
## 原正人の「なぜ私はヨーロッパマンガを愛するようになったか」
「こんな時代だからアクセスできるけど、気軽に手を出すにはちょっとよくわからん」というマンガを深追いする連載企画。フランスマンガ研究家の原正人氏が、いまだ知られざるヨーロッパマンガの魅力を隔週金曜日にどっぷりと紹介していく。
 先月からすっかり「メビウス! メビウス!」一色だったわけだが、その勢いで飛鳥新社から『B砂漠の40日間』が発売されることになった。メビウスの単行本の邦訳は実に30年以上ぶりだ。さらに月末には雑誌『ユリイカ』が「メビウスと日本マンガ」という特集を組む予定。どちらも要チェックである。
 さて、メビウスについてはまた折を見て紹介するとして、今回からは改めてBD(Bande Desinee)を中心とした海外マンガの紹介に戻ることにしよう。これまでにエンキ・ビラル、メビウスと二人の巨匠を紹介してきたわけだが、今回からは前編・後編の2回に渡り、ニコラ・ド・クレシー(Nicolas de Crécy)を取り上げたい。

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 皆さんはニコラ・ド・クレシーをご存知だろうか?
 BDの常で充分な邦訳や紹介はなされていないもの、それでも国内で少しは知られた作家である。初回でも少しだけ触れたが、『ユーロマンガ』(飛鳥新社)でその代表作『天空のビバンドム』を拙訳、連載中だ。
 それ以前にも、やはり飛鳥新社が刊行した『JAPON(ジャポン)』という日仏マンガ家16人によるアンソロジーに、「新しき神々」という短編が掲載されている(半人前のキャラクターが勉強を兼ねて日本にやってくるという傑作である)。飛鳥新社は『季刊エス』のvol.10とvol.24でインタビューを試みるなど、本邦での紹介においては重要な役割を果たしている。
 ド・クレシーの略歴についてWikipediaに付け加えることがあるとすれば、彼の処女作がアニメーターとして有名なシルヴァン・ショメとの共作『ビュグ・ジャルガル』(Bug Jargal)という作品ということくらいだ。ヴィクトル・ユゴーの同名の小説に着想を得たこの作品は1989年、スペインの出版社イクサヘール(Ikusager)から出版されている。
 『天空のビバンドム』については『ユーロマンガ』でぜひ作品そのものを読んでいただくとして、本連載では他の作品を紹介することにしたい。今回は初期の代表作、『フォリガット』(Foligatto)と『麻薬のレオン』(Léon la came)に焦点を当てよう。

 『フォリガット』はド・クレシー節全開の初期作品で、原作をアングレームの視覚芸術学院で同級だったアレクシオス・チョージャ(Alexios Tjoyas)が担当している。物語はこんな感じだ。
 エッケニヒロ市の為政者たちは、町を覆う鬱屈した空気を追い払うためにカーニヴァルを行なうことを決める。同市出身で世界的に有名なカストラート、フォリガットが招聘され、市をあげてバカ騒ぎが繰り広げられるが、二日目の夜、突如フォリガットの声が失われてしまう。
 彼が声を失くしたのにはある秘密が関与していた。彼の失われた声をめぐってカーニヴァルはクライマックスへと突き進んでいくことになる……
 と書いてはみたが、正直、お話なんてどうでもいい。すばらしいのはやはりビジュアルである。時にはジェイムズ・アンソール、時にはグスタフ・クリムトを思わせる豪奢なコマの数々はちょっとマンガではお目にかかることができない。
 コマ割り自体はかなりスタティックなのだが、ド・クレシー自身、あるインタビューで、同じ枠組を用いながら多様なことをやってみせることに関心があると言っている。
 
Nicolas De Crecy 「Folligato」

 『フォリガット』は若干ゴテゴテしすぎの感もある彫金細工のような作品だが、次に紹介する『麻薬のレオン』は、絵にしろ色彩にしろ、ずっとすっきりした作品。自由な線を生かしたかったということで、ペン入れをせずに、鉛筆書きをコピーしたものに直接色をつけているのだそうだ。
 『フォリガット』や『天空のビバンドム』以降、ド・クレシーはずっと軽やかな絵と色彩を好んで使うようになるのだが、『ムッシュー・フルーツ』(Monsieur Fruit)と並んで、この作品はその嚆矢をなす作品だ。『麻薬のレオン』も原作つきで、こちらは上でも名前を挙げたシルヴァン・ショメが担当している。
 物語は、実業家の家庭に生まれながら、非常に内気なために中年に差し掛かっても何もなしとげることができないジェジェと、彼とは反対に一代で富を築き、齢100にして未だにエネルギーを失わない祖父レオンとの友情を中心に展開していく。
 ジェジェはレオンのおかげで自身を得るが、やがてレオンが死に、精神的な支柱を失ったジェジェの生活は空回りをしていくことになる……
 
Nicolas De Crecy 「Léon la came」
 『フォリガット』が60ページ程度なのに対して、『麻薬のレオン』は全3巻300ページになんなんとする作品で、物語的には当然こちらの方がよくできている。実際、2巻は1998年のアングレーム国際BDフェスティヴァルで脚本賞を受賞した。とは言え、奇妙な部分も相当たくさんあり、ド・クレシーの代表作であることに間違いはない。
 ここで紹介した『フォリガット』と『麻薬のレオン』に『天空のビバンドム』を加えて、ド・クレシーのキャリアの前半を代表する作品だと言うことができるように思う。それ以降、彼は若干異なる方向に進んでいる印象を受けるのだが、それについては次回ご紹介したい。
text by 原正人
## 原正人の「なぜ私はヨーロッパマンガを愛するようになったか」
「こんな時代だからアクセスできるけど、気軽に手を出すにはちょっとよくわからん」というマンガを深追いする連載企画。フランスマンガ研究家の原正人氏が、いまだ知られざるヨーロッパマンガの魅力を隔週金曜日にどっぷりと紹介していく。
第1回 「荒木飛呂彦と宮崎駿の共通点は?」 (4月3日)
第2回 「エンキ・ビラル最新作『アニマルズ』を読む」 (4月3日)
第3回 「フランス漫画の巨匠・メビウス来日!」(5月7日)
第4回 「フランス漫画の巨匠・メビウスを「日本語」で読む」(5月22日)
第5回 「超絶技巧のアート漫画、ニコラ・ド・クレシーを読むっ!【前編】」(6月12日)

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フランス漫画の巨匠・メビウスを「日本語」で読む

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Moebius 「Les Yeux du chat」
## 原正人の「なぜ私はヨーロッパマンガを愛するようになったか」
「こんな時代だからアクセスできるけど、気軽に手を出すにはちょっとよくわからん」というマンガを深追いする連載企画。フランスマンガ研究家の原正人氏が、いまだ知られざるヨーロッパマンガの魅力を隔週金曜日にどっぷりと紹介していく。
 前回の連載で書いたように、5月3日から10日まで世界の巨匠メビウスが来日した。前回の来日からもう6年、都合4度目の来日とのことだ。
 今回はせっかくなのでもうしばらくメビウスにつきあってみたい。記事後半では筆者お勧めの2冊を私家版訳として「日本語で読める」状態で紹介する。

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 京都国際マンガミュージアムでのライブパフォーマンス(メビウスがクラブ・ミュージックに合わせて、踊りながら絵を描いてくれたとのこと)をはじめ、京都精華大学の講演、メビウスの誕生日パーティー、明治大学のシンポジウムと実にさまざまなイベントが行なわれた。
 講演やシンポジウムの様子は多くの方々がブログなどで報告してくれているので、そちらに譲ることにしよう。メビウスはそれぞれのイベントで絵を描いており、明治大学でのパフォーマンスの様子はこちらの動画で見ることができる。
 メビウスは、同行した奥さんともども、どうやら今回の来日を大いに楽しんでくれたらしい。お世辞かもしれないが、できることなら今回のような短い滞在ではなく、しばらく腰を据えたいと言ってくれた。願わくはそれが現実のものとならんことを……

 それでは作品の話に移ろう。日本での単行本は「謎の生命体アンカル」が1986年に講談社から訳出されただけで、それ以外に日本の出版物でアクセスできるのは挿絵や表紙絵を除けば、かつて「スターログ」に掲載された2つの短編だけである。
 要するに非常にお粗末な状況なのだが、この5月末に飛鳥新社から「B砂漠の40日間」が出版されることになった。この本は10年ほど前、メビウスが60歳の時に描いたもので、とてもじいさんが描いたとは思えない奔放なイマジネーションと超絶技巧が今見ても驚異である。
 元来セリフのない作品なので、輸入版でもいいんじゃないのという話はあるだろうが、巻末に最新のインタビューが付されている。まあ、何より日本国内で出版されるということが重要だろう。

 これを機に今後メビウスの翻訳が増えることを祈るばかりだが、こんなのどうよという提案の意味を込めてここで2つ作品を紹介してしまおう。まずはホドロフスキー原作の「Les Yeux du chat」(「猫の目」)、1978年の作品である。
 どことも知れぬ廃墟めいた巨大な石造りの都市。繁栄の様子は伺えるが、路上には人っ子一人おらず、不気味な静けさが漂っている。高い建物から窓外を見やり、何かを待っている様子の男が一人。不意に雲間から日差しが差し込み、そこへ一匹の猫が姿を現わす。恐る恐る歩みを進める猫。と、上空から一匹の鷲が猫に襲いかかり、その目を奪い、どこぞへ飛び立っていく。彼が向かったのは……

Moebius 「Les Yeux du chat」

 とまあ、こんな話。すばらしいのはその構成で、この作品はコマ割りなしの一枚絵の連続で話を進めていくのだが、見開きの左ページ(窓外を見やる男)と右ページ(猫と鷲)でまったく関係のない話を進めつつ、最後にはその二つの話が見事につながることになる。
 もう一つは「Tueur du Monde」(「世界殺害者」)という、こちらは1979年の作品。こちらも一枚絵で話が進んでいくのだが、「猫の目」ほどの語りの工夫が見られるわけではない。
 が、愛らしいイラストと奇妙なSFテイストのストーリーが相まって実に魅力的な作品となっている。
 内容は、宇宙飛行士フィルドガールの惑星バル=ジョナへの寄港、および巨大きのこクルバラガンタとの出会い、そしてその後の顛末を語るもの。

Moebius 「Tueur du Monde」
 ……どこか出しませんかね?
text by 原正人
## 原正人の「なぜ私はヨーロッパマンガを愛するようになったか」
「こんな時代だからアクセスできるけど、気軽に手を出すにはちょっとよくわからん」というマンガを深追いする連載企画。フランスマンガ研究家の原正人氏が、いまだ知られざるヨーロッパマンガの魅力を第1・第3金曜日にどっぷりと紹介していく。
第1回 「荒木飛呂彦と宮崎駿の共通点は?」 (4月3日)
第2回 「エンキ・ビラル最新作『アニマルズ』を読む」 (4月3日)
第3回 「フランス漫画の巨匠・メビウス来日!」(5月7日)
第4回 「フランス漫画の巨匠・メビウスを「日本語」で読む」(5月22日)

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