Nicolas De Crecy 「Salvatore」
## 原正人の「なぜ私はヨーロッパマンガを愛するようになったか」
「こんな時代だからアクセスできるけど、気軽に手を出すにはちょっとよくわからん」というマンガを深追いする連載企画。フランスマンガ研究家の原正人氏が、いまだ知られざるヨーロッパマンガの魅力を隔週金曜日にどっぷりと紹介していく。
前回に引き続き、ニコラ・ド・クレシーの作品を紹介したい。
前回は実質的な処女作と言っていい作品『フォリガット』(1991年)と、その後に出版された彼の代表作の一つ『麻薬のレオン』(全3巻、1995~1998年)を紹介したが、後者を出版するのと同じ時期に、ド・クレシーは『ムッシュー・フルーツ』(Monsieur Fruit)という作品を発表している(全2巻、スイユ社刊、1995~1996年)。
『フォリガット』や『天空のビバンドム』を特徴づけていた重厚な色彩はまったく放棄され、この作品ではほぼすべてが鉛筆で描かれている。さるインタビューによれば、極度に軽く、スピード感があり、生き生きとしたものを描きたかったのだそうだ。
絵画的な重厚な画面に対する愛を隠さないド・クレシーだが、一方で彼は、シンプルな描線と効率的な語りにも関心を持っている。それが前面に出始めたのがこの時期である。よく言われることだが、情報量の多い画面は見る者の視線をそこに釘付けにしてしまう。
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物語を先に進めていきたいマンガ表現にとってデメリットになりかねないこのような罠について、ド・クレシーはたいへん意識的だ。『天空のビバンドム』(全3巻、1994~2002年)で重厚な表現の頂点を極めた後は、作品を読みやすいようにするために細心の注意を払っているように見える。
日本でも『slip』(飛鳥新社、2005年)に掲載された「プロゾポプス」(Prosopopus)という作品は、こうした関心の延長線上にある作品である(同短編を収める仏語版の単行本は2003年にデュピュイ社から出版されている)。セリフのないアクション主体の作品で(とは言え、物語の後半はド・クレシー節全開のおかしな展開になる)、着色されてはいるものの、コンピューターによるカラーリングは決してスムーズな読書の妨げにはならない。
2005年には『サルヴァトール』(Salvatore)の第1巻が出版される(デュピュイ社刊、第2巻は2006年)。
初恋の女性を探して機械技師のサルヴァトールが冒険を繰り広げる愛らしい作品だが、ここでもシンプルな描線と軽やかな色彩が採用されている。
Nicolas De Crecy 「Salvatore」
読みやすさを志向したこれらの物語作品と若干趣きを異にするのが、2007年にフュチュロポリス社から出た『あるおばけの日記』(Journal d’un Fantôme)だ。
この作品の冒頭部分は「新しき神々」というタイトルで『JAPON』(飛鳥新社、2006年)に収められているから、そちらをご存知という方がいるかもしれない。
これからフランスでキャラクターになろうというキャラクター見習いがマネージャーと一緒に日本に勉強に来るという話で、日本のさまざまなキャラクターを引用しつつ、キャラクターとは何なのかを描いた実に興味深い作品である。
日本滞在中にこの作品を描いたド・クレシーは、その後、この短編を『あるおばけの日記』という単行本にするに当たって、日本でのエピソードを大幅に膨らませ、さらに帰国の途につく主人公(=キャラクター見習い)を作者自身に出会わせ、作者の体験まで盛り込んでいる。
Nicolas De Crecy 「Journal d’un Fantôme」
ご存知の方も多いかもしれないが、1990年頃からフランスでは自伝的な作品が増えるようになる。邦訳のあるダヴィッド・ベーの『大発作』(明石書店)やマルジャン・サトラピの『ペルセポリス』(バジリコ)がその代表だ。
ド・クレシーの『あるおばけの日記』は必ずしも作者の生い立ちを語っているわけではないのだが、ある生成途中にあるキャラクターに仮託して、作者にとって人生そのものだと言っていい絵とは何なのかという問いに向き合っている点で、この自伝的なバンド・デシネの系譜上にある作品だと言っていい。主人公と作者が繰り広げるキャラクター談義が実に楽しい。ここではこれ以上深く掘り下げないが、マンガ表現とは何かを語った大傑作だと述べておこう。
さらに、今年に入って、ド・クレシーは『ゴードン・マクガファンのメモ帳』(Les Carnets de Gordon McGuffin)という作品をピエール・サンジュ(Pierre Senges)の原作をもとに描いている。これはハリウッドの黄金時代に居合わせたある映画人の架空の回想録で、映画の黄金期を斜に眺めたエピソードが実に楽しい。
とは言え、この作品は各エピソードを短いテクストと挿絵のセットで語る形式で、いわゆるバンド・デシネではない。これについてはまた折を見て紹介することにしよう。
ぜひ実際に読んでいただきたいところだが、「プロゾポプス」を除けば、残念ながら邦訳はまったくない。絵だけでも十分素晴らしいのだが、今回挙げたような作品は物語がわからないとその魅力を十全に味わったとは言えないだろう。いずれ日本語で読めるようになることを期待したいところだ。
text by 原正人
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